
ボイスタ2023年7月号をご覧いただきありがとうございます!
2P掲載の安藤さんインタビューページの経歴について、
1989年の入社からの思い出や安藤さんがおこなってきたことをお話しいただきましたので当ページでご紹介いたします♪
【1989年 入社】
最初の配属先は栄店婦人用品部でした。当時は自主のショップではなく、単品広場という位置付けの「婦人セーター・ブラウス・スカート売場」を担当し、その半年後特選部に異動し、ティファニーを担当いたしました。当時のティファニーは今だと意外ですが三越のプライベートブランドで、全国でもティファニーは三越でしか買えない時代で、バブルの中ということもありクリスマスにはプレゼントを買いに来る男性で丸一日大行列になっていました。
【1990年 金沢三越に転勤】
名古屋三越が金沢出店により、金沢へ転勤となりました。当時は名古屋で仕事ができると思ったいましたが、異動には理由がありました。それは出身の大学が金沢大学だったことで選ばれたようで、卒業して1年でまた金沢に戻ってきたので、大学の友達や後輩たちもビックリしていました。
金沢ではティファニーを経験したのち、ホテル催事も担当しました。
金沢は規模の小さなお店だったこともあり、自分んで何でもやらないといけない環境にあり、ホテル催事の運営の中で、MDの選定や商品手配、媒体の撮影、図面を引いて什器の発注などすべてを一人でおこなったのは得難い経験でした。
【1996年 名古屋へ帰任】
名古屋へ帰任し、戻った先が星ヶ丘店の婦人用品部・婦人セーター・ブラウス・スカート売場の担当になりました。ただ当時の希望としては金沢での経験を活かし、販促への異動を希望していましたが、その半年後、星ヶ丘販促に異動したのが販促のスタートでした。星ヶ丘担当の際は栄に負けないぞという思いで、話題を取ろうというのを目標にやってきて、実際に様々な企画でマスコミに来てもらうことができました。
星ヶ丘の販促で経験を積むうちに、大きなところで自分を試したいと思うようになり、7年後栄の販促に異動になりましたが、その一年後日本橋への異動が告げられました。
【2005年 日本橋三越への出向】
栄を1年しかやらず、大きいところをあまり知らなかったので、当時最大の日本橋営業推進部への異動は不安で一杯でした。日本橋という大きくて特殊な店でしか経験できない仕事をたくさんさせていただくことができました。三越と伊勢丹との企業統合が決まり、誕生祭の準備もしました。
【2008年 名古屋へ帰任】
新しいMD業務フローを始めるということで、月次大綱の名古屋第1号を栄店に導入し、その翌年星ヶ丘店でも導入をおこないました。2010年には企業名が(株)名古屋三越になりました。当時は栄店・星ヶ丘店の個店の施策しかなく、名古屋三越全体としての戦略が無い状況でした。
そのため現在の経営企画や営業企画のような部署が作られ、私はそこで名古屋全体の中長期計画や年度計画の立案、2店の施策調整などを担当しました。
【ステージA昇格】
総務企画そしてその機能が営業企画に移り引き続き担当しました。広報も担当して記者クラブでの業績説明や小型店出店の発表なども行いました。その後、最終ゴールとして描いていた販売促進の担当長となりましたが、その後、総務の担当長を経て現職にいたります。
キャリアを振り返り、誇りに感じているのは社員30名と規模の小さかった金沢店での経験です。そこから星ヶ丘や栄、日本橋と規模の大きい店へと移っていきました。キャリアを振り返るとお買い場のマネージャーや部長・店長といった仕事はやれずに、スタッフの仕事を長くやってきましたが、自分に向いたポジションを与えていただいて自分なりにお役に立たせていただいたのかなと思っています。